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『果てしなく青い、この空の下で…。』舞台探訪 (1) -御杖村編-

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・奈良県御杖村


より大きな地図で 「果てしなく青い、この空の下で。」舞台探訪マップ を表示


御杖村は奈良県東部、三重県との県境にある山村である。

「果てしなく青い、この空の下で…。」の作品内では安曇村という名前だが、登場する背景の半分がこの御杖村に存在し作品の設定にも合致していることから実質作品の舞台といえると思う。


以下で紹介する舞台の順番は御杖村の西部から東部、御杖村を横断する国道369号線の近くから遠くという順。

観光地ではなく駐車場も無いに等しい所の為、探訪の際には住民の迷惑にならないよう注意を払って下さい。


1)三季館

正士・雨音・藍・明日菜・文乃が通っている「安曇学園」のモデルがこの三季館です。

元々は御杖村立御杖西小学校桃俣分校の校舎で、現在は廃校になり、その校舎は現在宿泊施設になっています。

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作中では2階建てですが、実際のモデルは1階建てです。

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校庭内には春日神社が鎮座していて、ビジュアルファンブックにも「由来を聞いたけど古いからわからないと言われた」「学校の中にあるのは珍しいから撮っておいた」というコメントと共に写真が掲載されていました。

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由来についてはきちんと纏めておきました。→春日神社


2)松倉商店

三季館のある桃俣への国道の交差点から2.5km国道を東へ走ると県道783号との交差点があり、そこを左折して突き当たった所に舞台となった松倉藍・松倉明日菜の実家・松倉商店がある。

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住所としては土屋原となるようだ。土屋原堂前というバス停が商店の前にある。

松倉商店モデルとなった商店の名前を調べるのを忘れていて途方に暮れていた所に情報があり寺本商店というとのこと。(情報を下さったnonoさん、ありがとうございました。)

このポイントの舞台探訪上で難点なのは車で探訪した際には駐車場がないので、少し離れた所に路駐して行くしか無い。

ちなみにカットのアングルの違いに気付いていて、この後もう一度御杖村に来ているのにスルーしているという失態。


3)御杖神社

上の松倉商店のある国道の交差点から東へ5.0km走ると「みつえ青少年旅行村→」「三峰山→」と書かれた看板があるので、そこを曲がり750mほど走ると神末(こうずえ)と呼ばれる地域に出る。

道路の左側に見える集落の中に杉の木が密集している所が御杖神社だ。

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穂村神社のモデルになっているのは大阪府柏原市の鐸比古鐸比売神社ですが、ファンブックには御杖神社の写真も登場しているので舞台の一つとして紹介しました。

御杖神社についての詳細は別ブログに纏めてあります。→御杖神社


4)通学路

御杖神社からさらに1.5km程奥へ進んだ所に通学路の背景として使われたポイントがある。

神末川に掛かる橋(風呂の本橋)と杉の木が一本立っているのが目印になる。驚いたのがグーグルのストリートビューがここまで来ているということw

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背景とは違い道路は舗装され、橋も数年前に起きたという水害で流されたため新たに作られた物のようだ。


5)戒田邸

主人公である戒田正士と父親が住んでいる家のモデルは上の通学路の場所から西側の少し大きめの道路に出て南へ200mくらいの所にある。

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一般住宅のため探訪の際は迷惑にならないように気をつけて下さい。自分が訪れた際は車を上の通学路の背景で使われた道路脇に停めて急いで探訪してきました。

6)三峰山

作中では春の健足会で登った穂村山として登場しました。

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(未探訪)


・余談

もし車で探訪する際には、近くに「道の駅伊勢本街道 御杖」があり、「みつえ温泉 姫石の湯」も併設されているので、舞台探訪の際は車中泊などで利用されるのが良いと思います。

また、「姫石の湯」の名前の由来にもなっている陰石の「姫石明神」も近くにあるのでぜひ参拝を。

「ノエイン もう一人の君へ」舞台探訪

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現在ブログ移行準備中です。

旧ブログ「ノエイン もう一人の君へ」舞台探訪記事
http://blogs.yahoo.co.jp/kazuki133/49763820.html
「咲-Saki-」舞台探訪 島根県代表・粕渕高校編

2013年の春に敦賀から中国地方と九州を旅行してきたわけですが、途中、出雲大社に参拝した後、車のクラッチの調子がおかしくなり大田市の物部神社前で完全にクラッチが切れなくなりJAFを召喚して、2日間大田市に足止めを食らった事で、代車を借り石見銀山と『咲 -Saki-』に名前だけ登場する島根県代表校の粕渕高校があるという設定の美郷町に行くことにしました。


・邑智郡美郷町

『シノハユ』では島根県が舞台となっているけど、『咲 -saki-』では島根県代表として粕渕高校が全国大会に出場しています。

初戦で折渡第二(秋田)・新道寺女子(福岡)・堀米女子(栃木)と当たり初戦敗退となってしまいました。

そんな粕渕高校がある(設定な)のは島根県南部、広島県との県境の邑智郡美郷町にあり、国道375号線が通り、JR三江線の粕淵駅があります。

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この美郷町は柿本人麻呂の終焉の地とされている湯抱温泉(ゆがかえおんせん)があり、県を越えると『朝霧の巫女』の舞台の広島県三次市になります。

元々、美郷町は邑智町(おおち)という名前で、この粕渕には邑智高校があったものの2009年に統廃合で無くなり、建物は現在は邑智中学校になっています。

ちなみに駅名の「粕淵」と地名の「粕渕」があるのは、元々は「淵」の表記が正しく、現在の「渕」は俗字であるとのこと。

夕方だったこともあって不審者扱いされそうな気もしたので学校には突撃せずに無難に粕淵駅の写真を撮ってきました。


より大きな地図で 「咲 -Saki-」舞台探訪マップ - 咲に登場しない学校など を表示

1)粕淵駅

JR粕淵駅はJR西日本の三江線の駅で、粕渕商工会の建物とニコイチになっていました。

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駅の内部は観光案内所も兼ねているようで、粕渕の観光マップも置いてあったりしました。

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ちなみに、粕淵駅は上り5本下り5本で非電化路線。ホームには待合室があります。

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現在は単線ですが、昔は島式1面2線だったそうで、その名残はあります。

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「天体のメソッド」舞台探訪 -洞爺湖周辺-

2014年秋に公開予定の「天体のメソッド」のPVから舞台になっている札幌と洞爺湖周辺の中から、壮瞥町と洞爺湖町の舞台探訪をしてきました。PVや本編を含めスポットは随時追加していきます。








より大きな地図で 「天体のメソッド」舞台探訪マップ を表示


・壮瞥町

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洞爺湖の南東部に位置する壮瞥町。最近、『咲 -Saki-』の有珠山高校の回想シーンでも登場してきたりしていて洞爺湖周辺は今年アツい。

1)森と木の里センター

森と木の里センターには洞爺湖温泉街から道道2号線を東へ走ると、洞爺湖を周回する道道132号線との交差点を左折し少し走ると右手に壮瞥公園の看板があるので、そこを登り、途中の分岐(看板あり)を左に曲がってしばらく走ると「森と木の里センター」の看板があり、ここを登った先に「天体のメソッド」で登場する天文台があります。

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この森と木の里センターは利用するには役場に予約しておかないとダメで有料の施設(宿泊可能)でもあるため、もし内部を見たいのであれば事前準備が必要です。(訪れた時は駐車場までは行くことが出来ました。天文台も鍵がかかっています)

ちなみに、最初の分岐を曲がらずにそのまま登って行くと原作の『咲 -Saki-』の129局で登場した有珠山と昭和新山の風景になる壮瞥公園に着きます。
『咲 -Saki-』舞台探訪 有珠山高校編



・洞爺湖町

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有珠山の麓、洞爺湖温泉のある洞爺湖町。『咲』の有珠山高校がある所(という設定)でもあります。

2)遊覧船のりば

古宮乃々香と水坂柚季が芝生でぐったりしているのが、洞爺湖温泉の遊覧船のりば周辺。

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場所としてはホテルグランドトーヤの裏側。ちなみに右側の白いのは電柱ではなく彫刻家・安田侃の「回生」という作品です。

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3)三豊トンネル

虻田から洞爺湖に抜ける旧・国道230号線が2000年の有珠山噴火で通行不可能になってしまったため、新たに西側に作られた国道230号線にあるトンネルがこの三豊トンネル。

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洞爺湖周辺のトンネルはここくらいしか無いし、トンネルを出てすぐに洞爺湖が眼前に広がるので、表情から察するに間違いないかと。


4)サイロ展望台

椎原こはるが「看板娘」として働いている「しいはら本舗」の内部はサイロ展望台の売店内部です。

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ちょうど画像の場所には「洞爺娘」などの洞爺湖グッズが並んでいます。

PVを見る限り外側は一致しないのですが、クマの剥製はあります。

ちなみに椎原こはるのキービジュアルの背景はサイロ展望台からの風景で、こちらも撮りにいかないといけない。

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あと外にあるバンビーナでは「アイスの天ぷら」が売ってます。本当にアイスを天ぷらにしててチョコレートソースがかかってるという…。これが結構美味しい。

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5)浮見堂公園

洞爺湖の北西部、旧洞爺村市街地近くの湖畔にある洞爺湖に突き出た小さな半島部分に聖徳太子像を祀ったお堂が浮見堂で、周辺が公園になっています。

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ちょうどキャンプをしてる人達や湖畔で小さい魚を捕まえてる子どもたちが遊んでいました。

訪れた時に各キャラクターのキービジュアルの存在を知らず、ポスターの背景だと思い込んでおり、他のキャラクターが登場した背景を訪れていなかったという…。

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↑こちらが水坂柚季のキービジュアルで使われた背景。

ちなみに夜はこんな感じでライトアップされています。

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あと現在探訪していない箇所が下記分です。

6)洞爺湖中島厳島神社 (ノエル・キービジュアル)
7)旧・町営温泉「やすらぎの家」 (戸川汐音・キービジュアル)
8)金比羅火口展望台 (古宮乃々香・キービジュアル)
9)ザ・ウィンザーホテル洞爺
「咲-Saki-」舞台探訪 青森県代表・千曳学園編

「咲-Saki-」におけるインターハイ青森県代表の千曳学園は、根獅子女子(長崎)・富之尾(滋賀)・越谷女子(埼玉)と対戦して初戦敗退してしまっているので名前くらいしか登場していませんが、地名から青森県の東部、東北町の千曳(ちびき)にある設定なのだろうということで、大湊で行われた艦これオンリーイベント『砲雷撃戦よーい 八戦目』に行った後に行ってきました。


・上北郡東北町

東北町は平成の大合併で旧東北町と上北町が合併してできた町で、北に野辺地町、南に七戸町、東には小川原湖に面しています。

設定上、千曳学園があると思われる千曳は国道4号を野辺地町から南下し、東北町に入ると千曳と呼ばれている地域になります。

ただ現在の住所上では千曳小学校や千曳バス停などがあるのは千曳ではなく、千曳駅の東側一帯が千曳という字名になるようだ。


国道4号沿いに十和田観光電鉄バスが運行する千曳バス停がありました。

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「国道4号線沿いにある千曳バス停。ここから少し南下すると日本中央の碑保存館がある。」

この国道4号から東側に入ると住宅が立ち並ぶ集落となっていて、千曳の名前が付くものとしては千曳駅、千曳小学校、千曳簡易郵便局、千曳駐在所、ちびき病院などがあります。

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「千曳小学校がある千曳集落内を通る県道8号線。(旧奥州街道・国道4号線?)」

とりあえず学校ということで千曳小学校に行きました。


より大きな地図で 「咲 -Saki-」舞台探訪マップ - 咲に登場しない学校など を表示


1)千曳小学校

まぁ背景で登場するどころか千曳学園は敗退してしまっているので舞台探訪にもなっていないのだけれど、千曳にある学校はこの千曳小学校しかありませんでした。

というわけでそそくさと撮影して撤収。

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2)千曳駅

千曳集落から県道8号線を東北町役場のある乙供方面へ約2km程走ると青い森鉄道の千曳駅があります。

というか跨線橋の下を通る線路上にある無人駅で、近くに標識もないので普通に走ってると気付かずに通過してしまう上に、人家のない山の中にある駅なので非常にわかりづらい。

さらに市街地からのアクセスも悪いので、一日平均何人位の利用者が居るのかという場所にあります。

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なんというか、2面2線の駅なんですが、駅構内で反対側へ渡る踏切や歩道橋が無いため、もし反対側に行くには駅の上を通ってる県道8号線に一度上がって線路をわたってから反対側へ降りていくという不便な駅です。

しかも、写真から分かるように道路から駅に向かう道が上り下りで分かれている上に直接車を乗り入れることができないという…。

とりあえず県道沿いに車が止められるスペース(駐車場では無いのかもしれない)があるのでそこに停めてから行くことができました。

1時間に1本普通列車は停まるようなので(上り18本、下り18本)、もしかすると千曳学園の生徒はここから上京した可能性も…。

学校の車で直接、七戸十和田駅か新八戸駅に行ったほうが手っ取り早そうな気がしますが。

ちなみに、かつての東北本線は現在の千曳駅の少し八戸側で西に、川に沿って北西へ、千曳の先で現在の国道4号線の少し東側を沿うように北上し、野辺地町一ノ渡の現在の東北本線となっていたようだ。

旧・千曳駅(南部縦貫鉄道線・西千曳駅)も千曳集落の国道4号線と県道8号線間辺りにあって、駅跡地は町民バスのバス停が近くにあったりします。


あと近くにある物でむりやりネタになりそうなものを探すとすれば、「日本中央の碑」とか「東北温泉」くらいかな…

3)日本中央の碑

千曳バス停から国道4号を南下すると上北自動車学校のすぐ右手に日本中央の碑保存館があります。

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十二世紀中頃の歌人・西行法師の「みちのくの 奥床しくぞ 思ほゆる 壷のいしぶみ そとの浜風」をはじめ、古くから色々な歌人がみちのくの何処かにあるらしい「つぼのいしぶみ」について詠んだ歌があり、その「つぼのいしぶみ」だと言われているものの一つがこの「日本中央の碑」。

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「日本中央の碑(実物)」

征夷大将軍・坂上田村麻呂が彫ったという伝説のある碑で、千曳という地名の由来でもあります。

詳しくは保存館内部にあった説明文をここに載せておきます。

東北町指定有形文化財 (平成元年十二月七日指定第一号)
日本中央の碑 (つぼのいしぶみの由来)

 この日本中央の碑は、昭和二十四年六月二十一日、当町(当時甲地村)の石文集落近くの赤川上流で、千曳の川村種吉氏により発見された。
 古歌に詠まれた名所を歌枕と言うが、数ある歌枕の中で「つぼのいしぶみ」ほど、好事家の話題にのぼったものはない。
 このつぼのいしぶみを始めて解説したのは、歌学者の顕昭(西暦一一三〇年頃~一二一〇年頃)である。その著『袖中抄』に、

(前略) 顕昭云、いしぶみとは陸奥のおくにつぼのいしぶみ有り、日本のはてと云り、但田村の将軍征夷の時弓のはずにて石の面に日本の中央のよしを書き付けたれば石文と云と云り。信家の侍従の申しは、石面ながさ四五丈計なるに文をゑり付たり。其所をつぼと云也。 (後略)

と書かれている。但し、田村麻呂の陸奥下向は盛岡市近辺の志波城までであってそれより北に及んでいない。
 田村麻呂に続いて、征夷将軍となったのは文室綿麻呂である。綿麻呂は弘仁二年(八一一年)に都母村に進撃している。『袖中抄』に書かれている事を当てはめるならば、石に日本中央の文字を刻んだのは綿麻呂ということになるであろう。
 なお、「日本中央」の「日本」は、ひのもとを訓じて東北地方を指す言葉であったと思われ、そこから先は中央政府の支配の及ばない地、それが日本であり、政府の威令が浸透するとともに、日本の地域もしだいに、狭められる事になる。従って、この「いしぶみ」は東北の古代史を物語るものである。

平成七年四月 東北町教育委員会


この碑が建てられたされる平安時代初期は、まだ現在の東北地方の津軽・都母・爾薩体・弊伊の蝦夷は大和政権に服属していなかったため、征夷将軍として坂上田村麻呂や文室綿麻呂がここまで遠征していました。

現在の千曳の南にある七戸町(旧・天間林村)に坪という地名が残っており、「都母」はこのあたりにあったと考えられています。(異説もあり。ちなみに爾薩体は岩手県二戸市仁左平、弊伊は閉伊川の流れる岩手県宮古市・閉伊郡にあったと考えられる。)

そのことから「都母の石文=つぼのいしぶみ」と言われています。

千曳の南、旧・天間林村菩提木(上のマップの鳥居の場所)に鎮座する千曳神社には、1000人の人間で石碑を引っぱり神社の地中に埋めたという伝説が残っており、明治9年(1876)に、明治天皇の行幸に合わせて石碑を発掘するように政府から命令が下ったものの結果として石碑を発掘することはできなかったという。

現在保存館に展示している碑は昭和24年(1949年)に、千曳に住む川村種吉氏が、千曳から乙供へ向かう県道8号線の途中の千曳集落と石文集落の間に落ちていた巨石をひっくり返してみると、「日本中央」という文面が彫られていたらしい。(県道8号線の千曳駅を過ぎて少し走った道路沿い右手に発見場所の看板がある。)

そんな経緯のある日本中央の碑ですが、実物を見ると彫られている文体がすごく最近な書体で率直に言って怪しい…

とはいえ、元々が鏃で削って彫った文という事だし、拓本を取る前に表面を必要以上に掃除しすぎて彫られていた文が見づらくなったという話も。

ただ、咲に登場する人達の能力という面では何か「つぼのいしぶみ」の話関係での能力は使われてもいいのかなと思ったりしました。


4)東北温泉

あとは小林立先生が温泉好きという所から、「日本で一番黒い」という東北温泉をとりあえず紹介しておきますか…

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千曳から県道8号線を走ると東北町役場や東北温泉のある乙供に着きます。

黒いというのはお湯が黒いという事で、泥炭層を通って湧き出すモール泉です。実際には真っ黒という黒さではなく、東北温泉のは薄く淹れたコーヒーのような色。

もしかすると黒さが変動するのかもしれないけど、北海道恵庭市のモール泉の方が黒く感じました。

ただ日本一黒いという認定を受けていることもあって「黒」推しの温泉であります。東北温泉の黒い饅頭も売ってたり。
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