上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
函館に来てからの航空母艦・天城について


昭和23年8月19日、1基の浮き桟橋が曳航され函館・有川埠頭に到着した。帝国海軍の航空母艦「天城」である。



航空母艦「天城」は航空母艦飛龍の改良型の雲龍型航空母艦の2番艦として昭和17年10月1日に三菱重工業長崎造船所にて起工され、昭和18年9月25日に伊豆半島の天城山に因み「天城」と命名された。同じ天城という艦名を持つ艦としては3代目になる。そして同年10月15日に進水、翌19年8月竣工した。

hakodate_amagi01.jpg
「航空母艦・天城」

同じ雲龍型としては3隻(雲龍・天城・葛城)が完成、3隻(笠置・阿蘇・生駒)が進水済みで未成のまま終戦、1隻(鞍馬)が計画のみとなった。

竣工後の昭和19年9月、雲龍と第一航空戦隊を編成し天城は旗艦となるものの、この頃には既に行動するための燃料や航空機が不足し、搭載部隊の第601航空隊の再建ができないまま、昭和20年1月に1945年(昭和20年)7月28日、呉港外三ツ子島沿岸にて爆撃を受け大破横転。そのまま終戦を迎える。

hakodate_amagi02.jpg


戦後は昭和21年12月5日から浮揚作業が行われ、昭和22年7月31日に浮揚完了。その後解体されたが、船体の一部を利用し浮き桟橋として利用されることとなったのである。

この工事により空母時代には全長227.35m、幅22mあった天城の船体は、浮き桟橋となって全長119.92m、幅14.2mとなった。



一方、函館の運輸省鉄道総局五稜郭工機部では青函連絡船・曳船の修理をわずかながら行っていたが専門の連絡船修理施設が無く、船舶工機部実現には新たな修理用岸壁を建設する事が懸案事項だったようだ。

この件については北海道新聞と函館新聞が同じ昭和23年2月11日で記事を載せており、函館新聞は「岸壁代わりに空母 船舶工機部実現へ一歩」、北海道新聞は「連絡船修理場に元空母の登場」の見出しで、まとめて要約すれば、

連絡船運航の最大の悩みが船の専門の修理施設が無いことで、ちょっとした故障破損でも莫大な日数と労力を費やし輸送に混乱をきたしていたが、連絡船の修理場として廃艦となった航空母艦・駆逐艦各一隻を有川さん橋に回航し、修理用のコンクリート岸壁を新たに建設するよりも空母を修理用岸壁として利用すれば、それまでドックに依存あるいは沖で修理していた中小規模の修理を十分なスピードでの作業ができ、連絡船の運航はスムーズに、また大幅な経費削減になることと、駆逐艦の船体を防波堤として利用することに関して実地調査が行われるとあった。


「天城」はそれから5ヶ月後の昭和23年7月15日にサルベージ船の東興丸(600トン)に曳航され函館へ向かい呉を出港。日本海経由の4ノットというゆっくりとした航海で、途中うねりのために船体に亀裂を生じ秋田県船川港で補修されて予定より20日遅れの8月19日に函館港有川桟橋に到着した。

hakodate_amagi03.jpg
「函館到着時の東興丸(左)と天城」(函館新聞 昭和23年8月20.21日の記事より)

hakodate_amagi10.jpg
「函館到着時の東興丸(左)と天城」(北海道新聞 昭和23年8月22日の記事より)

この頃には駆逐艦を防波堤にする案は無くなり、「天城」を修理船用の桟橋として使用した後、翌年に全国では6隻目の軍艦防波堤として沈められ生涯を終える事になっていた。

しかし、状況は天城にとってさらに悪化する。






hakodate_amagi13.jpg

「こんな私でも、平和日本建設のため、有川さん橋の付属品となる大志を抱いて来たのだが、来てみればやはり異郷の空、流れ者扱いされたれもかまってくれない何時になったら私を役立せてくれるのか私は巴港に来てから悲しい日ばかり送っている」






上は1ヶ月後の函館新聞 昭和23年9月23日「泣くな「天城」よ 御奉公は三、四年後に」の見出しで書かれた記事の冒頭。ちなみに巴港とは函館港の通称で、陸繋島の函館の形状を巴紋に見立てて呼ばれている。(函館市章も巴)

hakodate_amagi04.jpg

上の写真は有川桟橋にて繋留されている天城。浮き桟橋に改造された船体の様子が分かる。

この頃、有川桟橋の五稜郭工機部・船舶職場を拡充するために天城の船体を改修して使用するつもりが経費・資材の問題で早急の改修は難しくなり放置状態で、改修に一年半か二年後、防波堤として沈めるのは三、四年後という事で、「折角御奉公を意気込んでいる天城に夜泣きさせるようなそっけない返事ばかり」と記事に書かれていた。


昭和23年11月20日の函館新聞には「元空母「天城」を第三岸壁に埋立」という見出しの記事が載っていた。

要約すれば、元々、有川桟橋に連絡船を修理できる岸壁が無かったので沖合に停泊している連絡船に小さな蒸気船を着けて修理を行っていたのを、(繋留されている場所に?)天城を埋め立てて、そこに連絡船を接岸させて修理を行うつもりだったようだ。

ただ、港湾計画の中止で北防波堤の工事も中止になったことで有川桟橋の第三岸壁(函館第五岸壁)を修理用の岸壁として天城を年内に据え付けてそこで連絡船の修理をできるようにするという事だった。

しかし残念ながら、函館船渠(現・函館どつく)の機能が回復したことで、昭和24年8月に浮き桟橋の天城は廃止され函館港での利用方法が模索されることになる。



北海道新聞 昭和24年11月28日の記事には、「浮倉庫か岸壁か 廃艦"天城"に二つの案」との見出しで、

函館海陸運輸作業会社社長四津庄三郎氏(四津庄次郎氏か)ほか数名をグループにする"海上倉庫"案と、さらに構内に接岸して近海就航船の荷役さん橋に、という二つの天城の船体の利用案があった。

hakodate_amagi11.jpg
「係留中の天城と有川さん橋(右)」 (北海道新聞 昭和24年11月28日)



翌年の北海道新聞 昭和25年8月20日の記事には「活用に三案 元空母"天城" 函館港湾振興会 利用研究に本腰」の見出しで、

天城の利用を港湾施設充実の為に函館港湾振興会で本腰を入れて研究していて、その利用案が、

①予算関係で行き悩みになつている木造さん橋代用に西浜岸壁のつぎ足しにする
②第二ふ頭の岸壁に使用する
③旧さん橋若しくは郵船浜に機帆船および小型汽船の荷役用ふ頭にする。

の三案があり、実現性の問題から第三案の機帆船の荷役用ふ頭として郵船浜付近沖合に突出させる計画が最も有力視され近く細密な調査を行うこと。しかし第二ふ頭工事が今後1億9千万円程で完成する見通しから、(天城に費用を割くよりも)港湾施設費用を細大もらさずこれに充当することが得策だという見方もあることからさらなる研究が必要ということだったようだ。

しかし、結局利用方法が見つからず、昭和26年10月17日に屑鉄として天城は1056万8千円で金属鉱業会社に売却され解体、その会社では建築物の鉄筋として販売されたという。




・「天城」終焉の地の現在の様子

函館に到着した天城は売却されるまで有川桟橋の南東、現在の函館市浅野町に繋留されていました。

天城が繋留されていた場所はこの場所(グーグルマップへ飛びます)

hakodate_amagi09.jpg

なぜ、この場所かと確定できたかというと、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で、天城が函館に到着した8日後の昭和23年8月27日に米軍機によって撮影された空中写真USA-M1152-48の右下に、天城と思われる船体が写っていました。


当時の空中写真と現在の空中写真を重ねあわせてみるとこのようになります。

hakodate_amagi07.jpg

白い部分が昭和23年8月当時の陸地で、突き出ている所が有川桟橋。青函連絡船のうち貨物専用の岸壁として使われていました。

細長い長方形のが天城と思われる船体です。


↓更に拡大
hakodate_amagi08.jpg

その場所に実際訪れて昭和23年9月23日の記事の写真と同じように撮ってみました。

hakodate_amagi06.jpg

現在の有川桟橋は、隣に新たに埋め立てられた港町埠頭とくっついてしまっているのですが、海上自衛隊の艦船や大きなクルーズ客船などはこの港町埠頭に着岸します。

天城が繋留されていた場所からはちょうど有川桟橋を挟んで500mほどで、着岸した護衛艦も函館山も一目で見れる場所です。


あと一通り調べてからネットで見つけたのですが、すでに天城の場所について纏められている人が・・・

管理人:スズ氏 『大地の記憶』 - 「雲龍型航空母艦「天城」終焉の地に関する調査」


拙ブログよりも見やすく紹介されてますので、そちらの方もご覧になって下さい。



最後に、「艦これ」で「函館……何でだろう懐かしい響き……気のせいですね。」と言う天城だけど、浮き桟橋として連れて来られ、結局その役目は与えられずスクラップとして消えたこの函館では懐かしむだけのいい思い出は無かったと思う。

個人的には、実は有川桟橋のどこかで防波堤として眠っていて欲しいなと思ったりした。

あと、先代の関東大震災で被災した天城が現在も浮き桟橋として使われている一方で、三代目の天城が浮き桟橋に改造されて使われないままスクラップというのも皮肉なものだなと・・・


(参考文献)
・函館新聞 昭和23年2月11日、昭和23年8月20.21日、昭和23年9月23日、昭和23年11月20日
・北海道新聞 昭和23年2月11日、昭和23年8月22日、昭和24年11月28日、昭和25年8月20日
・坂本幸四郎 「青函連絡船ものがたり」(朝日新聞社、1987年)
・秋吉秀康 「旧海軍航空母艦「天城」の艦体利用のポンツーン」
 
 
スポンサーサイト
艦内神社一覧

「艦これ」の舞台探訪となると、大半の艦船が太平洋のいろんな場所に沈んでいたりで探訪できないということで、せめて縁の場所という意味合いで、艦内で祀られていた艦内神社の分霊元を列挙してみました。

提督さんは好きな艦娘ゆかりの神社に参拝してみては?

あと、マップには帝国海軍と海上自衛隊の艦内神社を一緒に載せています。

海上自衛隊艦艇など自分でも把握しきれない部分が多々ありますので、情報をいただいて共有できればありがたいです。


より大きな地図で 艦内神社マップ を表示

帝国海軍


・戦艦 長門
「住吉神社」 山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 陸奥
「岩木山神社」 青森県弘前市大字百沢字寺沢27
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05021562600、公文備考 昭和6年 E 教育、演習、検閲 巻2の2(防衛省防衛研究所)]
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 日向
「宮崎神宮」 宮崎県宮崎市
「都農神社?」 宮崎県児湯郡都農町川北13294
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 大和
「大和神社」 奈良県天理市新泉町306
境内にある「祖霊社」には戦艦大和座乗の司令長官・伊藤整一命ほか2736柱と巡洋艦・駆逐艦の英霊985柱が祀られている他、資料館もあります。
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 武蔵
「氷川神社」 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1丁目407
「伊勢神宮」 三重県伊勢市
「明治神宮」 東京都渋谷区
「東郷神社」 東京都渋谷区
[斎藤義朗「海軍艦艇の武運長久と安全祈願 艦内神社 艦に祀られた神々」歴史読本 55巻9号, 2010年9月号 新人物往来社]
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 金剛
「建水分神社」 大阪市千早赤阪村
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]
建水分神社HP

・戦艦 比叡
「日吉大社」 滋賀県大津市
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 榛名
「榛名神社」 群馬県高崎市
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 霧島
「霧島神宮」 鹿児島県霧島市
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04015075100、公文備考 儀制6止 巻19(防衛省防衛研究所)]
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・戦艦 扶桑
「石清水八幡宮」 京都府八幡市

・戦艦 山城
「石清水八幡宮」 京都府八幡市
「賀茂御祖神社?」 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
「賀茂別雷神社?」 京都府京都市北区上賀茂本山339
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]
[大原康男 「旧日本軍をめぐる宗教的事象序説」(加藤玄智博士記念学会『神道研究紀要』第8輯)]

・戦艦 石見
「物部神社」 島根県大田市
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06084306000、明治40年乾「貳大日記5月」(防衛省防衛研究所)]

・戦艦 安藝
「厳島神社」 広島県廿日市市
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051230900、大正13年 公文備考 巻91 物件(防衛省防衛研究所)]
[大原康男 「旧日本軍をめぐる宗教的事象序説」(加藤玄智博士記念学会『神道研究紀要』第8輯)]

・戦艦 攝津
「住吉大社」 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89
攝津に摂津国一宮・住吉大社の模型が寄贈された旨の記載がある。
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08020127800、明治45年~大正1年 公文備考 巻92 物件7止(防衛省防衛研究所)]

・正規空母 赤城
「三夜沢赤城神社」 群馬県前橋市

・正規空母 加賀
「白山比咩神社」 石川県白山市
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051234400、大正13年 公文備考 巻92 物件止(防衛省防衛研究所)]
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04016420500、公文備考 物件3止 巻107(防衛省防衛研究所)]
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04016421900、公文備考 物件3止 巻107(防衛省防衛研究所)]
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・正規空母 飛龍
「熊野神社」 静岡県富士宮市上井出

・正規空母 天城
「天城神社」 静岡県伊豆市湯ケ島305

・軽空母 千歳
「久留米水天宮」 福岡県久留米市
「高良大社」 福岡県久留米市
水天宮境内の脇を千歳の由来となった筑後川が流れ、境内に「軍艦千歳」の慰霊碑があります。
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・重巡洋艦 加古
「日岡神社?」 兵庫県加古川市

・重巡洋艦 青葉
「青葉神社」 福井県大飯郡高浜町

・重巡洋艦 衣笠
「走水神社」 神奈川県横須賀市走水2丁目12−5
「平野神社」 京都府京都市北区平野宮本町1
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]
[「軍艦衣笠」絵葉書 同封説明文「軍艦衣笠案内」]

・重巡洋艦 妙高
「関山神社」 新潟県妙高市関山4804
境内に妙高の記念碑が、拝殿には写真額が奉納されています。
[関山神社 軍艦妙高記念碑・碑文]

・重巡洋艦 那智
「熊野那智大社」 和歌山県那智勝浦町

・重巡洋艦 足柄
「足柄神社」 神奈川県南足柄市
[神社本庁「神社名鑑」]
[神社本庁 「平成祭CD」 足柄神社・由緒]

・重巡洋艦 羽黒
「出羽神社」 山形県鶴岡市

・重巡洋艦 高雄
「護王神社」 京都府京都市
元が高雄山神護寺境内にあった「護王善神社」。拝殿に乗員が奉納した扁額と高雄の説明板があります。

・重巡洋艦 愛宕
「愛宕神社」 京都府京都市
分霊元ではないが仙台市の愛宕神社にも記念碑がある。

・重巡洋艦 鳥海
「鳥海山大物忌神社」 山形県遊佐町
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05022179700、公文備考 昭和7年 H 物品 巻3(防衛省防衛研究所)]

・重巡洋艦 最上
「月山神社」 山形県庄内町

・重巡洋艦 三隈
「大原八幡宮(大波羅神社)」 大分県日田市大字田島184番地
参拝したけど慰霊碑などは確認できず。
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05034318000、公文備考 昭和10年 H 物品(除兵器) 巻2(防衛省防衛研究所)]

・重巡洋艦 鈴谷
「樺太神社?」 樺太豊原市
鈴谷が樺太寄港時に樺太神社祭神を奉斎する予定である旨が記載。
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05034319100、公文備考 昭和10年 H 物品(除兵器) 巻2(防衛省防衛研究所)]
[軍艦鈴谷命名記念絵葉書]

・重巡洋艦 熊野
「熊野本宮大社(熊野坐神社)」 和歌山県田辺市
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05110921000、公文備考 昭和12年 H 物品(除兵器) 巻3(防衛省防衛研究所)]

・重巡洋艦 利根
「香取神宮?」 千葉県香取市

・軽巡洋艦 天龍
「大山祗神社」 愛媛県今治市

・軽巡洋艦 龍田
「龍田大社」 奈良県生駒郡三郷町

・軽巡洋艦 多摩
「大國魂神社」 東京都府中市
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08051234400、大正13年 公文備考 巻92 物件止(防衛省防衛研究所)]

・軽巡洋艦 大井
「大井神社?」 静岡県島田市

・軽巡洋艦 長良
「伊奈波神社」 岐阜県岐阜市

・軽巡洋艦 名取
「青葉神社」 宮城県仙台市青葉区青葉町7番1号

・軽巡洋艦 由良
「由良神社」 京都府宮津市
拝殿前右側に軍艦由良献木の碑あり。
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05023753600、公文備考 昭和9年 I 兵器 巻10(防衛省防衛研究所)]
[長浜宇平 「言行三束」]

・軽巡洋艦 阿武隈
「白河鹿嶋神社」 福島県白河市大鹿島8
「伊勢神宮」 三重県伊勢市宇治館町1
「橿原神宮」 奈良県橿原市久米町934
「明治神宮」 東京都渋谷区代々木神園町1-1
[神社本庁「神社名鑑」]
[JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C05023636100、公文備考 昭和9年 H 物品(除兵器) 巻2(防衛省防衛研究所)]

・軽巡洋艦 川内
「新田神社」 鹿児島県薩摩川内市

・軽巡洋艦 那珂
「大洗磯前神社」 茨城県大洗町
境内に巡洋艦那珂の慰霊碑がある。
[藤本頼生「船の進水式と艦内神社」(大洗磯前神社社務所 「大洗さま」大洗磯前神社社報第34号)]

・軽巡洋艦 矢矧(Ⅱ)
「矢作神社?」 愛知県岡崎市

・軽巡洋艦 大淀
「小戸神社?」 宮崎県宮崎市
「宮崎神宮?」 宮崎県宮崎市

・軽巡洋艦 夕張
「夕張神社」 北海道夕張市
拝殿の扁額は東郷平八郎によるもの。
[北海道神社庁 夕張神社 由緒]

・練習巡洋艦 香取
「香取神宮」 千葉県香取市
練習巡洋艦の香取は2代目。境内に3代目となる自衛隊の練習艦かとりの錨と、宝物館には初代の戦艦香取の艦種に付けられていた菊花紋章が展示されています。

・練習巡洋艦 香椎
「香椎宮」 福岡県福岡市
拝殿横に戦艦摂津の大砲と、境内に軍艦香椎顕彰の碑がある。

・防護巡洋艦 矢矧(Ⅰ)
「矢作神社」 愛知県岡崎市
[神社本庁「平成祭CD」矢作神社 由緒]

・駆逐艦 有明(Ⅱ)
「有明山神社」 長野県安曇野市穂高有明宮城7271
[有明山神社 駆逐艦「有明」御分霊記念塔]

・工作艦 明石
「明石神社」 兵庫県明石市
[http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/34391/blogkey/673668/]




海上自衛隊

・護衛艦 ひゅうが(Ⅱ) DDH-181
「鵜戸神宮」 宮崎県日南市
「都農神社」 宮崎県児湯郡都農町大字川北13294
[都農神社は青山正仁氏からの情報]

・護衛艦 いせ(Ⅱ) DDH-182
「伊勢神宮」 三重県伊勢市宇治館町1

・護衛艦 いずも(Ⅱ) DDH-183
「出雲大社」 島根県出雲市大社町杵築東195
[みずも氏からの情報]

・護衛艦 かが(Ⅱ) DDH-184
「白山比咩神社」 石川県白山市
[「白山比咩神社のHP」]

・護衛艦 ひえい DDH-142
「日枝神社」 東京都千代田区永田町2-10-5
艦内神社賽銭箱に貼ってあったのも日枝神社の交通安全ステッカー

・護衛艦 しらね DDH-143
「諏訪大社」 長野県
元は「白根神社」の御札が納められていたらしいが、後に諏訪大社のものに変わったという。
祀られていたのは諏訪大社の御札だがはっきりと上社本宮と明言は無いので下社の可能性もないとはいえない。

・護衛艦 くらま(Ⅲ) DDH-144
「貴船神社」 京都府京都市

・護衛艦 こんごう(Ⅲ) DDG-173
「葛木神社」 奈良県御所市
金剛山山頂に鎮座する。御朱印は金剛山山頂売店(転法輪寺寺務所の隣)で頂けます。

・護衛艦 きりしま(Ⅲ) DDG-174
「霧島神宮」 鹿児島県霧島市霧島田口2608−5
[四十八艦攻さんのコメントから]

・護衛艦 みょうこう(Ⅱ) DDG-175
「関山神社」 新潟県妙高市関山4804
[艦内神社参拝 神札確認済み]

・護衛艦 ちょうかい(Ⅲ) DDG-176
「鳥海山大物忌神社」 山形県遊佐町

・護衛艦 あたご(Ⅳ) DDG-177
「愛宕神社」 京都府京都市

・護衛艦 あしがら(Ⅳ) DDG-178
「足柄神社」 神奈川県南足柄市苅野274

・護衛艦 むらさめ(Ⅳ) DD-101
「伊勢神宮」 三重県伊勢市宇治館町1

・護衛艦 はるさめ(Ⅳ) DD-102
「宇佐神宮」 大分県宇佐市

・護衛艦 いかづち(Ⅱ) DD-107
「雷神社」 神奈川県横須賀市追浜本町1丁目9
[四十八艦攻さんのコメントから]

・護衛艦 ありあけ(Ⅳ) DD-109
「有明山神社」 長野県安曇野市穂高有明宮城7271

・護衛艦 たかなみ(Ⅲ) DD-110
「叶神社?」 神奈川県横須賀市

・護衛艦 おおなみ(Ⅲ) DD-111
「香取神宮」 千葉県香取市

・護衛艦 まきなみ(Ⅱ) DD-112
「宗像大社」 福岡県宗像市
「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡琴平町892-1
↓(佐世保→大湊)
「田名部神社」 青森県むつ市田名部町1-1
(佐世保時代は宗像大社の神札を祀っていたようである。金刀比羅宮は大湊転属後もかどうかは未確認なものの可能性は高い。)

・護衛艦 あきづき(Ⅲ) DD-115
「宗像大社」 福岡県宗像市

・護衛艦 てるづき(Ⅲ) DD-116
「調神社」 埼玉県さいたま市浦和区
[平八郎氏のブログ「平八郎軍艦」]

・護衛艦 すずつき(Ⅱ) DD-117
「鎮西大社諏訪神社」 長崎県長崎市上西山町18-15
[清澄純氏がすずつき乗員に確認]

・護衛艦 しらゆき(Ⅲ) DD-123→TV-3517
「三嶋大社」 静岡県三島市大宮町2-1-5
↓(横須賀→呉)
「亀山神社」 広島県呉市清水1-9−36
「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡琴平町892-1
「由加神社」 岡山県倉敷市児島由加2852
[呉転属後の3社はomi氏からの情報]

・護衛艦 さわゆき(Ⅱ) DD-125
「鹿島神宮」 茨城県鹿嶋市

・護衛艦 いそゆき DD-127
「大洗磯前神社」 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
[大洗磯前神社社務所 「大洗さま」大洗磯前神社社報第35号]

・護衛艦 はるゆき(Ⅱ) DD-128
「白岳神社」 長崎県佐世保市白岳町725

・護衛艦 まつゆき(Ⅱ) DD-130
「厳島神社」 広島県廿日市市の厳島神社か?
「籠神社」 京都府宮津市字大垣430

・護衛艦 しまゆき(Ⅰ) DD-133→TV-3513
「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡琴平町892-1

・護衛艦 あまぎり DD-154
「白絲濱神社?」 京都府舞鶴市浜520
「靖國神社?」 東京都千代田区九段北3丁目1-1

・護衛艦 もがみ(Ⅲ) DD-212
「北舘神社」 山形県庄内町

・護衛艦 いわせ DE-219
「岩ケ瀬水神神社」 宮崎県宮崎市吾妻町109

・護衛艦 ちとせ DE-220
「千歳神社」 北海道千歳市
[久野 潤「将兵の心を支えた守り神 艦内神社ガイド」(歴史群像 2012年8月号 No.114 ㈱学研パブリッシング)]

・護衛艦 のしろ DE-225
「日吉神社」 秋田県能代市御指南町3-24

・護衛艦 いしかり DE-226
「石狩八幡神社」 北海道石狩市弁天町1
神社にはロープワーク額と軍艦旗が奉納。番屋の湯近くに主錨がある。

・護衛艦 ゆうばり(Ⅱ) DE-227
「夕張神社」 北海道夕張市
[http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001693.html]

・護衛艦 ゆうべつ DE-228
「湧別神社」 北海道紋別郡湧別町緑町
主錨が総合支所前庭に、艦名板・号鐘・浮輪が総合支所内ロビーに展示。

・護衛艦 あぶくま(Ⅱ) DE-229
「籠神社」 京都府宮津市字大垣430
「竹駒神社」 宮城県岩沼市

・護衛艦 じんつう(Ⅱ) DE-230
「鹿嶋神社」 富山県富山市鹿島町2丁目8-10

・護衛艦 おおよど(Ⅱ) DE-231
「小戸神社」 宮崎県宮崎市

・護衛艦 せんだい(Ⅱ) DE-232
「新田神社」 鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2
「鹿児島神宮?」 鹿児島県霧島市隼人町内2496-1
新田神社には現在も志布志寄港時などに乗員が祈願に訪れている。

・護衛艦 ちくま(Ⅲ) DE-233
「筑摩神社」 長野県松本市筑摩2-6-1

・護衛艦 とね(Ⅳ) DE-234
「香取神宮」 千葉県香取市

・潜水艦 さちしお SS-582
「鵜戸神宮」 宮崎県日南市

・潜水艦 たかしお SS-597
「貴船神社」 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180

・潜水艦 こくりゅう SS-506
「毛谷黒龍神社」 福井県福井市毛矢3丁目8-1
[毛谷黒龍神社]

・掃海艦 つしま MSO-302
「鵜戸神宮」 宮崎県日南市

・掃海艇 つのしま MSC-683
「角島八幡宮」 山口県下関市

・掃海艇 みやじま MSC-690
「厳島神社」 広島県廿日市市

・掃海艇 えのしま MSC-604
「江島神社」 神奈川県藤沢市江の島2丁目3-8

・掃海艇 はつしま MSC-606
「伊豆山神社」 静岡県熱海市伊豆山708-1
[伊豆山神社については名無しさんからのコメントから、初島の初木神社に「はつしま」乗員が参拝し安全祈願祭が行われた。ちなみに初木神社は伊豆山神社の兼務社でもある。]

・掃海母艦 うらが MST-463
「走水神社」 神奈川県横須賀市

・ミサイル艇 しらたか PG-825
「彦島八幡宮」 山口県下関市彦島迫町5丁目12-9
「余市神社」 北海道余市郡余市町富沢町14丁目4

・ミサイル艇 わかたか PG-829
「彦島八幡宮」 山口県下関市彦島迫町5丁目12-9

・輸送艦 しもきた LST-4002
「田名部神社」 青森県むつ市田名部町1-1
「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡琴平町892-1

・輸送艦 くにさき LST-4003
「亀山神社」 広島県呉市

・練習艦 かしま TV-3508
「鹿島神宮」 茨城県鹿嶋市

・訓練支援艦 てんりゅう(Ⅱ) ATS-4203
「諏訪大社?」 長野県
てんりゅう艦内に納められている神札の上部の写真でしか確認できていないものの、諏訪湖は天竜川の水源という関係性と、諏訪湖の諏訪大社の神札上部と同じ為ほぼ間違いないと思われる。

・多用途支援艦 すおう AMS-4302
「玉祖神社」 山口県防府市
「田名部神社」 青森県むつ市田名部町1-1

・多用途支援艦 げんかい AMS-4304
「宗像大社」 福岡県宗像市
「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡琴平町892-1
「伊勢神宮」 三重県伊勢市宇治館町1
「潮田神社」 神奈川県横浜市鶴見区

・多用途支援艦 えんしゅう AMS-4305
「富士山本宮浅間大社」 静岡県富士宮市
「大山祇神社」 愛媛県今治市
「潮田神社」 神奈川県横浜市鶴見区

・砕氷艦 しらせ(Ⅱ) AGB-5003
「富士山本宮浅間大社」 静岡県富士宮市

・潜水艦救難艦 ちはや ASR-403
「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡琴平町892-1
「大山祇神社」 愛媛県今治市
ちなみに、ちはや乗員が研修で艦名由来の千早城址へ登城して千早神社にも参拝しており、艦内神社に祀られているかは不明だが千早神社の交通安全ステッカーも艦内の扉に貼られていたりする。
[わたり鳥氏からの情報]

・潜水艦救難母艦 ちよだ AS-405
「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡琴平町892-1
[Twitterの陽和子さん(@105_RS)のツイートより]

・試験艦 あすか ASE-6102
「飛鳥坐神社」 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708
あすか乗員の飛鳥坐神社へ参拝があった。

・補給艦 とわだ AOE-422
「十和田神社?」 青森県十和田市奥瀬字十和田14

・補給艦 ときわ AOE-423
「常盤神社」 山口県宇部市
[乗員からの説明を受けた時は水戸市の常磐神社という話だったものの、その後の公開時にあった説明書によれば由来となった宇部市の常盤神社から御神札を頂いているという]

・補給艦 はまな AOE-424
「亀山八幡宮?」 長崎県佐世保市八幡町3-3

・補給艦 ましゅう AOE-425
「弟子屈神社?」 北海道川上郡弟子屈町高栄2丁目3-4
摩周湖のある弟子屈町の神社。ましゅうが釧路寄港時に乗員の参拝があったことから祀られている可能性が高い。
[https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/02sougou/01tyoutyou/01diary/2010-0906-1801-2.html]
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。