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「咲-Saki-」舞台探訪 島根県代表・粕渕高校編

2013年の春に敦賀から中国地方と九州を旅行してきたわけですが、途中、出雲大社に参拝した後、車のクラッチの調子がおかしくなり大田市の物部神社前で完全にクラッチが切れなくなりJAFを召喚して、2日間大田市に足止めを食らった事で、代車を借り石見銀山と『咲 -Saki-』に名前だけ登場する島根県代表校の粕渕高校があるという設定の美郷町に行くことにしました。


・邑智郡美郷町

『シノハユ』では島根県が舞台となっているけど、『咲 -saki-』では島根県代表として粕渕高校が全国大会に出場しています。

初戦で折渡第二(秋田)・新道寺女子(福岡)・堀米女子(栃木)と当たり初戦敗退となってしまいました。

そんな粕渕高校がある(設定な)のは島根県南部、広島県との県境の邑智郡美郷町にあり、国道375号線が通り、JR三江線の粕淵駅があります。

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この美郷町は柿本人麻呂の終焉の地とされている湯抱温泉(ゆがかえおんせん)があり、県を越えると『朝霧の巫女』の舞台の広島県三次市になります。

元々、美郷町は邑智町(おおち)という名前で、この粕渕には邑智高校があったものの2009年に統廃合で無くなり、建物は現在は邑智中学校になっています。

ちなみに駅名の「粕淵」と地名の「粕渕」があるのは、元々は「淵」の表記が正しく、現在の「渕」は俗字であるとのこと。

夕方だったこともあって不審者扱いされそうな気もしたので学校には突撃せずに無難に粕淵駅の写真を撮ってきました。


より大きな地図で 「咲 -Saki-」舞台探訪マップ - 咲に登場しない学校など を表示

1)粕淵駅

JR粕淵駅はJR西日本の三江線の駅で、粕渕商工会の建物とニコイチになっていました。

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駅の内部は観光案内所も兼ねているようで、粕渕の観光マップも置いてあったりしました。

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ちなみに、粕淵駅は上り5本下り5本で非電化路線。ホームには待合室があります。

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現在は単線ですが、昔は島式1面2線だったそうで、その名残はあります。

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「咲-Saki-」舞台探訪 青森県代表・千曳学園編

「咲-Saki-」におけるインターハイ青森県代表の千曳学園は、根獅子女子(長崎)・富之尾(滋賀)・越谷女子(埼玉)と対戦して初戦敗退してしまっているので名前くらいしか登場していませんが、地名から青森県の東部、東北町の千曳(ちびき)にある設定なのだろうということで、大湊で行われた艦これオンリーイベント『砲雷撃戦よーい 八戦目』に行った後に行ってきました。


・上北郡東北町

東北町は平成の大合併で旧東北町と上北町が合併してできた町で、北に野辺地町、南に七戸町、東には小川原湖に面しています。

設定上、千曳学園があると思われる千曳は国道4号を野辺地町から南下し、東北町に入ると千曳と呼ばれている地域になります。

ただ現在の住所上では千曳小学校や千曳バス停などがあるのは千曳ではなく、千曳駅の東側一帯が千曳という字名になるようだ。


国道4号沿いに十和田観光電鉄バスが運行する千曳バス停がありました。

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「国道4号線沿いにある千曳バス停。ここから少し南下すると日本中央の碑保存館がある。」

この国道4号から東側に入ると住宅が立ち並ぶ集落となっていて、千曳の名前が付くものとしては千曳駅、千曳小学校、千曳簡易郵便局、千曳駐在所、ちびき病院などがあります。

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「千曳小学校がある千曳集落内を通る県道8号線。(旧奥州街道・国道4号線?)」

とりあえず学校ということで千曳小学校に行きました。


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1)千曳小学校

まぁ背景で登場するどころか千曳学園は敗退してしまっているので舞台探訪にもなっていないのだけれど、千曳にある学校はこの千曳小学校しかありませんでした。

というわけでそそくさと撮影して撤収。

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2)千曳駅

千曳集落から県道8号線を東北町役場のある乙供方面へ約2km程走ると青い森鉄道の千曳駅があります。

というか跨線橋の下を通る線路上にある無人駅で、近くに標識もないので普通に走ってると気付かずに通過してしまう上に、人家のない山の中にある駅なので非常にわかりづらい。

さらに市街地からのアクセスも悪いので、一日平均何人位の利用者が居るのかという場所にあります。

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なんというか、2面2線の駅なんですが、駅構内で反対側へ渡る踏切や歩道橋が無いため、もし反対側に行くには駅の上を通ってる県道8号線に一度上がって線路をわたってから反対側へ降りていくという不便な駅です。

しかも、写真から分かるように道路から駅に向かう道が上り下りで分かれている上に直接車を乗り入れることができないという…。

とりあえず県道沿いに車が止められるスペース(駐車場では無いのかもしれない)があるのでそこに停めてから行くことができました。

1時間に1本普通列車は停まるようなので(上り18本、下り18本)、もしかすると千曳学園の生徒はここから上京した可能性も…。

学校の車で直接、七戸十和田駅か新八戸駅に行ったほうが手っ取り早そうな気がしますが。

ちなみに、かつての東北本線は現在の千曳駅の少し八戸側で西に、川に沿って北西へ、千曳の先で現在の国道4号線の少し東側を沿うように北上し、野辺地町一ノ渡の現在の東北本線となっていたようだ。

旧・千曳駅(南部縦貫鉄道線・西千曳駅)も千曳集落の国道4号線と県道8号線間辺りにあって、駅跡地は町民バスのバス停が近くにあったりします。


あと近くにある物でむりやりネタになりそうなものを探すとすれば、「日本中央の碑」とか「東北温泉」くらいかな…

3)日本中央の碑

千曳バス停から国道4号を南下すると上北自動車学校のすぐ右手に日本中央の碑保存館があります。

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十二世紀中頃の歌人・西行法師の「みちのくの 奥床しくぞ 思ほゆる 壷のいしぶみ そとの浜風」をはじめ、古くから色々な歌人がみちのくの何処かにあるらしい「つぼのいしぶみ」について詠んだ歌があり、その「つぼのいしぶみ」だと言われているものの一つがこの「日本中央の碑」。

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「日本中央の碑(実物)」

征夷大将軍・坂上田村麻呂が彫ったという伝説のある碑で、千曳という地名の由来でもあります。

詳しくは保存館内部にあった説明文をここに載せておきます。

東北町指定有形文化財 (平成元年十二月七日指定第一号)
日本中央の碑 (つぼのいしぶみの由来)

 この日本中央の碑は、昭和二十四年六月二十一日、当町(当時甲地村)の石文集落近くの赤川上流で、千曳の川村種吉氏により発見された。
 古歌に詠まれた名所を歌枕と言うが、数ある歌枕の中で「つぼのいしぶみ」ほど、好事家の話題にのぼったものはない。
 このつぼのいしぶみを始めて解説したのは、歌学者の顕昭(西暦一一三〇年頃~一二一〇年頃)である。その著『袖中抄』に、

(前略) 顕昭云、いしぶみとは陸奥のおくにつぼのいしぶみ有り、日本のはてと云り、但田村の将軍征夷の時弓のはずにて石の面に日本の中央のよしを書き付けたれば石文と云と云り。信家の侍従の申しは、石面ながさ四五丈計なるに文をゑり付たり。其所をつぼと云也。 (後略)

と書かれている。但し、田村麻呂の陸奥下向は盛岡市近辺の志波城までであってそれより北に及んでいない。
 田村麻呂に続いて、征夷将軍となったのは文室綿麻呂である。綿麻呂は弘仁二年(八一一年)に都母村に進撃している。『袖中抄』に書かれている事を当てはめるならば、石に日本中央の文字を刻んだのは綿麻呂ということになるであろう。
 なお、「日本中央」の「日本」は、ひのもとを訓じて東北地方を指す言葉であったと思われ、そこから先は中央政府の支配の及ばない地、それが日本であり、政府の威令が浸透するとともに、日本の地域もしだいに、狭められる事になる。従って、この「いしぶみ」は東北の古代史を物語るものである。

平成七年四月 東北町教育委員会


この碑が建てられたされる平安時代初期は、まだ現在の東北地方の津軽・都母・爾薩体・弊伊の蝦夷は大和政権に服属していなかったため、征夷将軍として坂上田村麻呂や文室綿麻呂がここまで遠征していました。

現在の千曳の南にある七戸町(旧・天間林村)に坪という地名が残っており、「都母」はこのあたりにあったと考えられています。(異説もあり。ちなみに爾薩体は岩手県二戸市仁左平、弊伊は閉伊川の流れる岩手県宮古市・閉伊郡にあったと考えられる。)

そのことから「都母の石文=つぼのいしぶみ」と言われています。

千曳の南、旧・天間林村菩提木(上のマップの鳥居の場所)に鎮座する千曳神社には、1000人の人間で石碑を引っぱり神社の地中に埋めたという伝説が残っており、明治9年(1876)に、明治天皇の行幸に合わせて石碑を発掘するように政府から命令が下ったものの結果として石碑を発掘することはできなかったという。

現在保存館に展示している碑は昭和24年(1949年)に、千曳に住む川村種吉氏が、千曳から乙供へ向かう県道8号線の途中の千曳集落と石文集落の間に落ちていた巨石をひっくり返してみると、「日本中央」という文面が彫られていたらしい。(県道8号線の千曳駅を過ぎて少し走った道路沿い右手に発見場所の看板がある。)

そんな経緯のある日本中央の碑ですが、実物を見ると彫られている文体がすごく最近な書体で率直に言って怪しい…

とはいえ、元々が鏃で削って彫った文という事だし、拓本を取る前に表面を必要以上に掃除しすぎて彫られていた文が見づらくなったという話も。

ただ、咲に登場する人達の能力という面では何か「つぼのいしぶみ」の話関係での能力は使われてもいいのかなと思ったりしました。


4)東北温泉

あとは小林立先生が温泉好きという所から、「日本で一番黒い」という東北温泉をとりあえず紹介しておきますか…

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千曳から県道8号線を走ると東北町役場や東北温泉のある乙供に着きます。

黒いというのはお湯が黒いという事で、泥炭層を通って湧き出すモール泉です。実際には真っ黒という黒さではなく、東北温泉のは薄く淹れたコーヒーのような色。

もしかすると黒さが変動するのかもしれないけど、北海道恵庭市のモール泉の方が黒く感じました。

ただ日本一黒いという認定を受けていることもあって「黒」推しの温泉であります。東北温泉の黒い饅頭も売ってたり。
「咲-Saki-」舞台探訪 佐賀県編

背景として実際登場するわけじゃないので舞台探訪としては当てはまるかどうかは微妙だけど、一応行ってみたというわけです。


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・小城市

1)生立ヶ里

生立ヶ里(うりゅうがり)は佐賀県小城市南部の牛津町の佐賀バイパス北側にある。

福岡県代表・新道寺の白水哩・鶴田姫子が中学校時代に在籍していた生立ヶ里中学校はこの周辺にある設定だと思われる。

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バイパス沿いとは言え田園地帯の中にあり、数十軒の住宅と生立ヶ里公民館と生立ヶ里バス停くらいしか無かった。

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ちなみに、関連があるかどうかは分からないが、牛津町に鶴田整形外科医院と鶴田運動機能回復クリニックという施設がある。

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もしかすると鶴田姫子の親類縁者と何らかの関係があるのかもしれない。



・鹿島市

2)能古見

インターハイの佐賀県代表・能古見高校は佐賀県南西部の鹿島市にある高校(という設定)。

能古見という地名があり、能古見小学校や能古見郵便局などがある。

全国大会1回戦では鳥取県代表・千代水高校、福井県代表・甲ケ崎商業、そして長野県代表・清澄高校と当たった結果、1回戦で敗退した。

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本当ならば能古見小学校も行きたかったところだけど、車のクラッチの調子が悪くて気が気じゃなかったので今回はスルー。

ちなみに鹿島市には日本三大稲荷にも数えられる祐徳稲荷神社が鎮座する。
「咲-Saki-」舞台探訪 鹿児島県代表・永水女子編


2013年5月に山陰から九州にかけて神社の参拝と舞台探訪をかねての長期旅行に出かけた際に鹿児島県にも行ったわけですが、「咲 -Saki-」では鹿児島県代表が永水女子だったわけで、その登場した舞台、もしくは関係しているであろう場所へ行って来ました。


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・鹿児島市

1)鹿児島中央駅 (9P94)

九州新幹線の終点・鹿児島中央駅。

インターハイの中継が鹿児島中央駅にある巨大スクリーンで放送されているカットがあります。

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駅前で物産展も行われていたのですが、喜界島の黒糖は近いパッケージのものが置いてなかったという…orz




・霧島市

鹿児島県北部の霧島市。

ここには霧島神宮と、永水女子があると咲の設定上推定される永水という場所があります。

2)永水小学校

霧島神宮駅から南へ3キロ程の所にあるのが霧島市永水。

地名の読みは「えいすい」ではなくて「ながみず」が正しい。

霧島神宮と関係が深いであろう永水女子だけど、霧島神宮から永水までは大体9km程の距離がある。


霧島市永水という場所の範囲自体は結構広いので必ずしも永水小学校のある主要道路から離れた場所とは言えないかもしれないけど、とりあえず永水で主要な建築物かなということで探訪。

通報されるのが怖いので遠巻きに撮影しました。

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永水小学校は「霧島わんぱく留学・特認校制度実施校」らしいですよ。

永水女子は麻雀留学・特認校なのかも…


3)霧島神宮

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よく永水女子と関連付けられて登場してくるのが霧島神宮。

実際の背景が登場します。

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ロータリー前の由緒書(7巻P94)

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表参道二の鳥居下(9巻P20,21(73局扉絵))

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神楽殿(全国編2話Aパート)

霧島神宮に行ったのは去年の6月ですが、全国編の背景に出てくる神楽殿はたまたま同じようなアングルで偶然撮ってました。


ちなみに大鳥居前にある観光案内所の中にはユピテルの霧島レイちゃんのポスターが…
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4)霧島神宮古宮址 (11巻表紙)

探訪時にこの古宮址が11巻表紙で登場するということを知らなかったので、表紙のように左側からのアングルではなく、正面からのアングルしか撮影していませんでした。

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ここから更に登って行くと御釜、そして天逆鉾のある高千穂峰へと続く登山道になります。

ちなみに高千穂峰の天逆鉾は『朝霧の巫女』にも登場しているのでそこら辺は当該ページヘ。

http://jishatanbou.blog.fc2.com/blog-entry-247.html
「咲-Saki-」舞台探訪 南北海道代表・有珠山高校編

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なかなか有珠山高校が絵として登場しないなぁと思っていましたが、ついに129局「契機」で有珠山高校関係の背景が登場したので、以前に書いた成香ちゃん関係のフライング記事に追加しました。


より大きな地図で 「咲-saki-」 舞台探訪マップ -有珠山高校編- を表示


・洞爺湖町洞爺湖温泉

観光ホテルが立ち並ぶ北海道有数の温泉地である洞爺湖温泉は洞爺湖町にあります。

平成の大合併で虻田町と洞爺村が合併してできたのが洞爺湖町で、洞爺湖の北西側半分が洞爺湖町に属しており、有珠山の北麓、かつ洞爺湖の南畔に位置する洞爺湖温泉は旧虻田町に属していました。

『咲 -Saki-』では洞爺湖温泉街の北海道洞爺湖サミット記念館・洞爺湖文化センターが有珠山高校の校舎として登場しています。


1)北海道洞爺湖サミット記念館・洞爺湖文化センター

洞爺湖畔の洞爺湖温泉街の一角にある、北海道洞爺湖サミット記念館・洞爺湖文化センター。

こちらが有珠山高校の校舎として登場しています。

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左側が洞爺湖文化センター、右側が北海道洞爺湖サミット記念館・洞爺湖観光情報センター(旧・火山科学館)。

サミット記念館は洞爺湖温泉のバスターミナルにもなっています。

129局扉絵のカシオペアのツインで上京してるっぽい件については、バスで洞爺湖温泉から洞爺駅に行くルートもあるし、距離的にも洞爺駅のほうが洞爺湖温泉からは近いので、18:39洞爺駅発のカシオペアに乗車している可能性。


2)金比羅火口展望台
(未探訪)


・壮瞥町

洞爺湖の南東部の半分が壮瞥町に属しています。有珠山の山頂も壮瞥町に属してたり…



洞爺湖温泉街からすぐ東隣が壮瞥町で、北海道民にはお馴染みの「お風呂の遊園地」こと洞爺サンパレスは洞爺湖温泉と思われがちですが、サンパレスのすぐ西側が町境なので実は壮瞥温泉になります。まぁどうでもいい話だけども…

いや、有珠山高校の子達もサンパレスで遊んでるのかなって…


3)壮瞥公園

壮瞥公園は洞爺湖温泉街から道道2号線を東へ走ると、洞爺湖を周回する道道132号線との交差点があります。

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ここを左折し少し走ると右手に壮瞥公園の看板があるので、そこをひたすら登っていった先に壮瞥公園の展望台があり、ここから見る有珠山と昭和新山の風景が129局の回想シーンに入る直前に登場する風景になります。

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ここからの洞爺湖の眺望もなかなか綺麗でした。

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4)久保内小学校

壮瞥市街から旧大滝村方面へ国道を7km程走った久保内地区にあるのが、129局の回想で真屋由暉子が通っていた中学校とされる背景がこの久保内小学校の校舎です。

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ちょうど学校の前のT字路の横断歩道あたりから撮影。

ちなみに久保内小学校の隣には久保内中学校もあるので、あながち間違いではないのですが、有珠山高校のモデルとなったサミット記念館から久保内小学校までは14kmあるので、話の流れから歩いていける距離に有珠山高校があるような描写はそういう設定ということになります。

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↑右側が久保内中学校、左奥が久保内小学校


5)有珠山・昭和新山

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「洞爺湖東側のサイロ展望台より」

背景で登場するのは129局現在では壮瞥公園からの有珠山と昭和新山の風景だけだけど、少し気になることがあるので書き進めてみる。

有珠山高校の名前にもなっている有珠山は北海道で最も活発な火山のうちの一つで、最近では2000年に噴火しており、大体30年おきに噴火を繰り返している活火山。

そして有珠山の東側には昭和新山がある。

昭和新山は太平洋戦争まっただ中の昭和18年(1943年)から昭和20年(1945年)の2年間で地盤が隆起し水蒸気爆発、そして溶岩ドームを形成した火山であるが、当時は第二次世界大戦中のため噴火の事実は新聞に小さく載せられる程度の報道しかされなかった。

壮瞥の郵便局長であった三松正夫は、昭和18年12月28日の活動開始から昭和20年9月まで600日余りの期間、昭和新山が誕生し成長していく過程を定点観測で記録したスケッチ画に残した。

これを「ミマツダイヤグラム」という。

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洞爺湖周辺の出身であろう有珠山高校・副将の真屋由暉子の目のハイライトがダイヤの形をしているのは、この「ミマツダイヤグラム」に由来しているのでは無いだろうか…。

ちなみに真屋姓は北海道内でも洞爺湖町に多く分布する。

・伊達市

6)上長和駐車公園
(未探訪)

7)水門
(未探訪)



以下は有珠山高校初登場時に書いた有珠山高校に関係しているであろうと当時予想した場所に関する記事。


・洞爺湖町成香

洞爺湖町成香


本内成香の名前の由来になったと思われる洞爺湖町成香は洞爺湖の西側にあります。

成香地区は平坦な丘陵地帯で、競走馬を輩出した旧・メジロ牧場を引き継いだレイクヴィラファームや、サイロ展望台などがあります。

せっかく来たので、成香の名前が付く場所に行こうじゃないかということで、成香小学校と成香神社に行って来ました。


8)成香小学校

成香小学校
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私がよく函館から札幌に向かうときによく利用する道道235号線沿いにある小学校ですが、今から7年前の平成18年(2006)3月31日をもって閉校となってしまいました。

もし成香ちゃんがこの成香地区の出身だとすれば通っていたかもしれないと妄想しながら探訪。

後者の背後には羊蹄山が、反対側には洞爺湖サミットの行われたウィンザーホテルが見え、近くには洞爺湖。家とか殆ど無いけどいいとこです。

まぁとりあえず閉校してるとはいえ通報されないように、いかにも撮影に来ましたと一眼レフを片手に自己防衛。


9)成香神社

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成香小学校の北にあるのが成香神社。もちろん祀られてるのは成香ちゃんではなく、天照大神がご祭神。

だいぶ小さな神社ではありますが感慨深くあります。

せっかく同名の神社だということで、有珠山高校優勝祈願と成香ちゃんが善戦しますようにとお願いしておきました。

↓成香神社の詳しい説明は別ブログにて。
成香神社 (北海道虻田郡洞爺湖町) -クモノカケラ- Yahoo!ブログ

ちなみに明治期には日本基督公会を母体とする北海孤児院の農場が成香に開かれました。孤児院の設立には伊達士族も協力していますが、ここらへんは下で詳しく。




・伊達市有珠

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地名に有珠と付くのが伊達市と洞爺湖町の境界近くにある有珠地区。

某ゲームの久遠寺有珠とは違って読みは「うす」。

アイヌ語で入り江(湾)を意味する有珠はその名の通り小さな入り江があり、北海道内でも歴史の古い場所です。

有珠山は見えるし、なおかつ有珠山への登山道があるので、有珠山高校は場所的にはここかなぁと。

結局、有珠山高校は伊達市有珠ではなく有珠山北麓の洞爺湖温泉街にあるという設定が濃厚。

有珠山高校は制服から判断するにキリスト教系の学校なのですが、他の舞台探訪ブログの方も言われているように、イングランド国教会の流れをくむ日本聖公会の教会・有珠聖公会と関係があるのかもしれませんが、ちょっと考察してみました。


10)有珠聖公会 バチラー夫妻記念聖堂

バチラー夫妻記念聖堂01


元々アイヌコタンがあった有珠に明治25年(1892年)、聖公会の宣教師ジョン・バチェラーが夜間学校を始めたのが始まり。

現在の礼拝堂は1937年に有珠山の噴石を用いたもので、「バチラー夫妻記念堂」と命名されました。

ちなみに昔の礼拝堂は北向きだったそうで、現在も裏側に回るとその名残が残っています。

4月から10月の土曜日は教会内部に入ることができます。ちなみに撮影おk。

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バチラー夫妻記念聖堂02-2
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バチラー夫妻記念聖堂05

2階にはジョン・バチェラーやバチラー八重子に関する展示室があります。

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話が戻りますが、他ブログさんの話では本内成香の本内という苗字が伊達家の家臣で室蘭特有のものだと聞きました。

成香ちゃんのあの片目が隠れた髪型も伊達政宗のオマージュなんじゃないかという話もあるようですが、ちょっと伊達市に入植した伊達家主従のこととか少し調べてみました。

伊達市のある有珠郡に、明治2年(1869)仙台藩の支藩である亘理伊達家領主の伊達邦成と家臣、領民2800名余の士族が開拓のため伊達市に集団移住しますが、明治19年頃に家老の田村顕允が現在の東北学院や宮城学院の設立者でキリスト教宗教家でもあった日本基督公会の押川方義を招き、伊達邦成と共に入信し、明治21年(1888)に伊達教会を設立しました。

この日本基督公会の林竹太郎牧師が中心となり、伊達家の主従が協力して設立されたのが北海孤児院。成香地区に農場を造りました。

ここまでで有珠山高校がプロテスタント系のミッションスクールなのは間違いないと思われますが、有珠聖公会の関係から立教大学などを始めとする日本聖公会なのか、それとも伊達士族に洗礼を施した押川方義が伊達家の旧領地である宮城県に設立した東北学院と関係し、そして伊達主従が設立した伊達教会の所属する日本基督公会(日本キリスト教会)なのか…

最初は地理的に日本聖公会のミッションスクールかと思ってたら、だんだん違うんじゃないかという気もして来ました。

こう歴史とかと色々考えてみるとなかなか面白いです。
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