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「ゴロセウム」舞台探訪(1) -函館編-

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・北海道函館市

『ゴロセウム』の舞台となっているのは函館市、主に西部地区にある。

「ゴロセウム」舞台探訪マップ


1)函館公園 (1巻第3話)

1巻3話の函館デートから巻末までの舞台が函館公園。

主に噴水周辺と「こどものくに」、明治山(摺鉢山)が登場する。

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ここから園内にある遊園地「こどものくに」。函館を舞台としたアニメ『ノエイン』でも一部登場する。

観覧車は国内で稼働するものとしては日本最古で、昭和25年に七飯町東大沼に設置され、昭和40年に現在地に移設された。

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ここから瑠海が帰るのを見送ってから李炎龍とのバトルシーン。

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写っている石碑は「今上陛下即位記念碑」。当時の大正天皇の即位を記念して建てられたもの。


2)青柳町電停

1巻のサーシャと瑠海とのデートシーンで登場する。

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ここらへんの道路が一番高くなっているあたりを「谷地頭の切り通し」と地元民は言ったりしたものの最近は死語かもしれない。


3)ホテルニューハコダテ

ラスプーチンが潜んでるらしい所。内部も作中では登場するものの同じかどうかは不明。

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現在は内装工事中で工事の看板があって扉が外れていたり観光地の多い場所なのに荒れ果てているのが少々目に付く。

ちなみに元は安田銀行函館支店の建物で昭和7年の建築。昭和43年に現在のホテルとして改装された。


4)緑の島 (2巻第6話)

2巻6話の扉絵の場所が緑の島から金森倉庫群を望むカット。

ちょうどウッドデッキとコンクリート舗装の境部分の位置になる。

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写っている船はブルームーン号。函館湾内を定期的にクルーズ運航している。


5)函館駅

函館駅はホテルルートイングランティア側からの外観と駅内部改札の2ヶ所が登場する。

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6)香雪園・園亭 (2巻第7話)

元町から反対方向の湯の川の近くにあり、見晴公園ともいう。紅葉の季節は園内がライトアップされて綺麗。

元は函館の名家・岩船氏の庭園で、ゴロセウムに登場するのはその中の園亭。茶室としても使われる。


土方が組手をしている場所は庭園の池にあたる。
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「ばくおん!!」舞台探訪(1) -函館編-

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・北海道函館市

原作・アニメともに登場するのは3ヶ所。ただ後述の通り、水無海浜温泉だけは平成の大合併で同じ函館市になったとは言うものの結構距離がある。

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「ばくおん!!」舞台探訪マップ

1)津軽海峡フェリー・函館ターミナル

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来夢先輩を除くメンバーが降り立ったのがこの津軽海峡フェリーのフェリーターミナル。

位置的には4番乗り場になる。ただ下船したらそのまま進んで下さいという感じなので、乗り場の前にはアニメのようにバイクを停める事はちょっとむずかしいと思われ。

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ちなみに、この特徴的な船型のは「びなす」と「ブルードルフィン(旧・ほるす)」だが、運航は今年いっぱいなので、そこら辺も含めて探訪したい人は注意されたし。


2)函館ゲストハウス(函館ライダーハウス ウィロビー)

フェリー下船後、宿泊したのがこのライダーハウス。函館市松川町にある。

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最近隣にローソンができた。現在は函館ゲストハウスとなっているものの大きな変わりは無い模様。


・函館市恵山岬町(旧・椴法華村)

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「ばくおん!!」舞台探訪マップ

3)水無海浜温泉

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ライダーハウスのある函館市街地から東へ53km。旧椴法華村にある。

海岸線の道路は開通していないため(そもそも開通する気があるのか)、旧恵山町から国道を旧椴法華村に走り、そこから南下するしかアクセス方法はない。

海の中にある野趣あふれる露天風呂で、満潮になると海に沈み、干潮でも温泉の水位が下がりすぎて入れなかったりと一日で入れる時間が決まっており、年間の入浴可能時間が掲示されていたりする。(水無海浜温泉入浴可能時間のお知らせ)

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もちろん浴槽は一つしか無く混浴で難易度が高い。更衣室はあるが、男性陣は大体浴槽の所で脱いでいたりする。

まして「ばくおん!!」みたいに全裸で入浴している女性はおらず、女性は足湯が関の山。


ちなみに来夢先輩がバイクで立ってる岩は浴槽のある場所から更に100mほど先で、バイクはもちろん歩いても行けない所にある。
「ゴールデンカムイ」舞台探訪(2) -札幌・開拓の村編-


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・札幌市厚別区 (北海道開拓の村)

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「ゴールデンカムイ」舞台探訪マップ

ゴールデンカムイでは基本的に小樽の古写真の他に札幌市の「北海道開拓の村」に移築保存されている建物が背景になっていることが多い。

こちらでは札幌市にある舞台と分けて開拓の村にある建物だけを紹介する。

各番号は上の地図に準拠。


7)旧開拓使爾志通洋造家

7巻でエディー・ダンが住んでいる住宅外観として登場する。

言わずもがなではあるが、エディー・ダンのモデルはエドウィン・ダンで、北海道における畜産業に深く貢献した人物である。

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8)旧松橋家住宅

鶴見中尉の第七師団の兵舎の内部として登場する。

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9)旧有島家住宅(4巻37話)

土方がアジトにしていた永倉の親戚の家の外観のモデル。

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この建物は作家の有島武郎が明治時代に札幌の白石区菊水に住んでいた頃の建物。

作中でのこのカットは建物の斜め裏側から撮ったもの。


10)旧浦河支庁庁舎

札幌世界ホテルのモデルとして登場します。

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11)旧山本理髪店

6巻に登場する理髪店。名前もそのままである。

2枚目は若干アスペクト比いじっています。

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12)旧来正旅館 (4巻33話)

4巻で白石が遊女に聞き込みするとか言って向かう遊郭の建物と、蕎麦屋の入口して登場。

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ちなみに朝の連続テレビ小説『マッサン』でも亀山夫妻が余市へ向かう途中のシーンがこの旅館の前で撮影された。


13)旧三マス河本そば屋 (2巻15・16・17話)

小樽入りした杉元が立ち寄ってニシン蕎麦を食べていた蕎麦屋がここ。

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この建物は元々小樽にあったもので、現在も三マスさんは小樽で蕎麦屋を続けている。

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献立表も全く同じっぽい。ただ、見て分かるようにニシン蕎麦は無く、現在小樽にある三マスさんにもニシン蕎麦は無い。

その代わり、開拓の村の食堂でニシン蕎麦をいただくことができる。食堂で提供しているのは下記の2種類。そばの量の違うだと思う。

・にしんそば (850円)
・大盛りにしんそば(900円)

ちなみに写真は大盛りにしんそば。作中のニシン蕎麦とはニシンの甘露煮に違いがあるけどヒンナでした。

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以下、杉元の立ち回りシーンの背景。

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14)旧武井商店酒造部 (2巻16話)

鶴見中尉の第七師団の兵舎の外観として登場する。

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15)旧近藤医院

札幌世界ホテル爆発後に家永が手当されていたのが、旧近藤医院内の処置室。

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16)旧青山家漁家住宅・廊下 (4巻37話)

4巻37話に登場するニシン番屋のモデルが旧青山家漁家住宅と隣の廊下と呼ばれる建物。

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ちなみにNHKの連続テレビ小説『マッサン』の北海道編で風間杜夫さん演じる森野熊虎が住んでいたのもここ。(内部ロケが行われたのは大阪で作られた精巧に似せたセットであるが…)


17)旧秋山家漁家住宅 (3巻20話)

渋川善次郎が潜伏していた小樽近郊の家として登場する。

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18)旧山本消防組番屋

6巻で登場する火の見櫓が似ているものの若干違うため参考程度に紹介。

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19)旧ソーケシュオマベツ駅逓所・厩舎 (7巻61話,62話)

7巻の競馬場のシーンで厩舎としてそのまま登場する。

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厩舎の内部もそのまま登場するものの、本来は上の写真の位置から少し先から縦ではなく横に撮ったカットになる。左側に馬が居たため気を使って奥に進んで撮影しなかったのでいずれ撮り直す予定。


20)旧納内屯田兵屋 (2巻17話)

レタラに靴下の臭いをかがせて追跡していった先で白石が住んでた建物の内部のモデル。

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ただ白石が家から逃げてる時に写ってる背景は土方がアジトにしてる旧有島家住宅だったりする。


21)旧小川家酪農畜舎 (7巻63話)

63話「モンスター」冒頭の「日高」と書かれたコマに登場するのがこの小川家酪農畜舎。

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正面向かって左側から見ると同じようになるが、現在屋根が損壊している状態が作中のコマになっており、本来の形に修復されると違う背景になるのでお早めに。


22)旧菊田家農家住宅 (7巻裏表紙,64話-69話)

7巻裏表紙や7巻後半の舞台となる茅葺き屋根の家が旧菊田家農家住宅。開拓の村のだいぶ奥にある。

外観・内部を含めた建物自体が7巻64話から69話までのヒグマ事件の舞台となっている。

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「ゴールデンカムイ」舞台探訪(1) -小樽編-


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・小樽市市街地

物語の地名としてハッキリ明言されているのが小樽市で、作中でも小樽の古写真を元にしたと思われる背景が描かれている。

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「ゴールデンカムイ」舞台探訪マップ


1)旧日本郵船株式会社小樽支店

3巻裏表紙や作中各所に登場するのが旧日本郵船株式会社小樽支店の建物。

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建物自体は国の重要文化財に指定されており、明治37年着工、同39年10月に落成した近世ヨーロッパ復興様式の石造2階建建築。

外観だけではなく是非内部も見学することをおすすめします。(近々修復工事に入るだろうということなので内部が見られるのは今がチャンス)


2)新倉屋本店

2巻で鶴見中尉が「甘いものは好きか?」って言って出てくるのが花園公園名物の串団子。

その団子を現在も提供しているのが花園に本店を置く新倉屋である。

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店内では注文した団子をいただくことができ、ドリンクに+250円で花園だんご3本セットのメニューがあったので、みたらし団子を3本注文する。

オリジナルコーヒーを注文して計450円。

もちもちで美味しい。鶴見中尉みたいに「ふじみ…ふじみ…」っていいながら食べましょう。

新倉屋さんの串団子は他にも独特な餡の盛り付け方だったり、ごま団子がごまだれではなくすりごまだったり色々特徴があるので是非そちらも食べてみていただきたい。


3)旧小樽倉庫

4巻30話、31話で登場する屋根に鯱が乗っている建物が旧小樽倉庫、現在では運河館という小樽市博物館の施設になっている建物です。

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4)小樽浪漫館(旧百十三銀行小樽支店)

土方達が金庫破りに入った銀行のモデルがこちら。

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5)大正硝子館(旧名取高三郎商店)

16話で鶴見中尉が空に向けて発砲したシーンの背景に写っている背景に、左右反転した大正硝子館の「うだつ」が写っていて、作中の設定では蕎麦屋の斜め向かいあたりに建っているようだ。

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2枚目を左右反転すると作中と同じになる。


6)石ヶ守商店

2巻15話で高架を蒸気機関車が走っているコマがあるが、これは古写真を元にしているもので、現在1軒だけ当時の建物が残っている。それが石ヶ守商店だ。

(未探訪)



・小樽市祝津

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小樽市街地の北側、おたる水族館や鰊御殿のある祝津に4巻裏表紙になっている旧青山別邸がある。

7)旧青山別邸

4巻の裏表紙と5巻の40話に登場するのが旧青山別邸。最初の便所に辺見に殺された人が遺棄されていたため用を足せなかったアシリパが便所を借りに行った建物でもある。

実際に撮影するとこのようになるが、裏表紙では左右反転している。

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内部も陶器製の便器だとか機関銃で穴だらけになる襖だとかが登場しているものの青山別邸の建物内は撮影禁止で、撮影可能なのは建物外からのためこれが精一杯。鶴見が弾いてたピアノは無い。

ちなみに青山別邸内部の拝観は有料。だが、上のカットは拝観せずに撮影可能。もっとも塀の隙間から撮影することになるのだが…。


8)鰊御殿

日和山灯台の近くに建っている建物。

5巻でアシリパに死体を発見された辺見が焦って杉元を連れ出して第7師団から匿ってもらおうと向かった鰊漁の親方の家のモデルがココ。

外観と二階への階段部分と二階、そして背後の崖が登場する。

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ちなみに外には5巻の最後のおまけにあった「粕くだき」もあるので、「是非おためしあれ……です」

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9)茨木家中出張番屋

5巻43話で「辺見和雄と出会ったニシン場から数十キロ離れた別の番屋」と紹介されている番屋がここ。

(未探訪)
函館に来てからの航空母艦・天城について


昭和23年8月19日、1基の浮き桟橋が曳航され函館・有川埠頭に到着した。帝国海軍の航空母艦「天城」である。



航空母艦「天城」は航空母艦飛龍の改良型の雲龍型航空母艦の2番艦として昭和17年10月1日に三菱重工業長崎造船所にて起工され、昭和18年9月25日に伊豆半島の天城山に因み「天城」と命名された。同じ天城という艦名を持つ艦としては3代目になる。そして同年10月15日に進水、翌19年8月竣工した。

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「航空母艦・天城」

同じ雲龍型としては3隻(雲龍・天城・葛城)が完成、3隻(笠置・阿蘇・生駒)が進水済みで未成のまま終戦、1隻(鞍馬)が計画のみとなった。

竣工後の昭和19年9月、雲龍と第一航空戦隊を編成し天城は旗艦となるものの、この頃には既に行動するための燃料や航空機が不足し、搭載部隊の第601航空隊の再建ができないまま、昭和20年1月に1945年(昭和20年)7月28日、呉港外三ツ子島沿岸にて爆撃を受け大破横転。そのまま終戦を迎える。

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戦後は昭和21年12月5日から浮揚作業が行われ、昭和22年7月31日に浮揚完了。その後解体されたが、船体の一部を利用し浮き桟橋として利用されることとなったのである。

この工事により空母時代には全長227.35m、幅22mあった天城の船体は、浮き桟橋となって全長119.92m、幅14.2mとなった。



一方、函館の運輸省鉄道総局五稜郭工機部では青函連絡船・曳船の修理をわずかながら行っていたが専門の連絡船修理施設が無く、船舶工機部実現には新たな修理用岸壁を建設する事が懸案事項だったようだ。

この件については北海道新聞と函館新聞が同じ昭和23年2月11日で記事を載せており、函館新聞は「岸壁代わりに空母 船舶工機部実現へ一歩」、北海道新聞は「連絡船修理場に元空母の登場」の見出しで、まとめて要約すれば、

連絡船運航の最大の悩みが船の専門の修理施設が無いことで、ちょっとした故障破損でも莫大な日数と労力を費やし輸送に混乱をきたしていたが、連絡船の修理場として廃艦となった航空母艦・駆逐艦各一隻を有川さん橋に回航し、修理用のコンクリート岸壁を新たに建設するよりも空母を修理用岸壁として利用すれば、それまでドックに依存あるいは沖で修理していた中小規模の修理を十分なスピードでの作業ができ、連絡船の運航はスムーズに、また大幅な経費削減になることと、駆逐艦の船体を防波堤として利用することに関して実地調査が行われるとあった。


「天城」はそれから5ヶ月後の昭和23年7月15日にサルベージ船の東興丸(600トン)に曳航され函館へ向かい呉を出港。日本海経由の4ノットというゆっくりとした航海で、途中うねりのために船体に亀裂を生じ秋田県船川港で補修されて予定より20日遅れの8月19日に函館港有川桟橋に到着した。

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「函館到着時の東興丸(左)と天城」(函館新聞 昭和23年8月20.21日の記事より)

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「函館到着時の東興丸(左)と天城」(北海道新聞 昭和23年8月22日の記事より)

この頃には駆逐艦を防波堤にする案は無くなり、「天城」を修理船用の桟橋として使用した後、翌年に全国では6隻目の軍艦防波堤として沈められ生涯を終える事になっていた。

しかし、状況は天城にとってさらに悪化する。






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「こんな私でも、平和日本建設のため、有川さん橋の付属品となる大志を抱いて来たのだが、来てみればやはり異郷の空、流れ者扱いされたれもかまってくれない何時になったら私を役立せてくれるのか私は巴港に来てから悲しい日ばかり送っている」






上は1ヶ月後の函館新聞 昭和23年9月23日「泣くな「天城」よ 御奉公は三、四年後に」の見出しで書かれた記事の冒頭。ちなみに巴港とは函館港の通称で、陸繋島の函館の形状を巴紋に見立てて呼ばれている。(函館市章も巴)

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上の写真は有川桟橋にて繋留されている天城。浮き桟橋に改造された船体の様子が分かる。

この頃、有川桟橋の五稜郭工機部・船舶職場を拡充するために天城の船体を改修して使用するつもりが経費・資材の問題で早急の改修は難しくなり放置状態で、改修に一年半か二年後、防波堤として沈めるのは三、四年後という事で、「折角御奉公を意気込んでいる天城に夜泣きさせるようなそっけない返事ばかり」と記事に書かれていた。


昭和23年11月20日の函館新聞には「元空母「天城」を第三岸壁に埋立」という見出しの記事が載っていた。

要約すれば、元々、有川桟橋に連絡船を修理できる岸壁が無かったので沖合に停泊している連絡船に小さな蒸気船を着けて修理を行っていたのを、(繋留されている場所に?)天城を埋め立てて、そこに連絡船を接岸させて修理を行うつもりだったようだ。

ただ、港湾計画の中止で北防波堤の工事も中止になったことで有川桟橋の第三岸壁(函館第五岸壁)を修理用の岸壁として天城を年内に据え付けてそこで連絡船の修理をできるようにするという事だった。

しかし残念ながら、函館船渠(現・函館どつく)の機能が回復したことで、昭和24年8月に浮き桟橋の天城は廃止され函館港での利用方法が模索されることになる。



北海道新聞 昭和24年11月28日の記事には、「浮倉庫か岸壁か 廃艦"天城"に二つの案」との見出しで、

函館海陸運輸作業会社社長四津庄三郎氏(四津庄次郎氏か)ほか数名をグループにする"海上倉庫"案と、さらに構内に接岸して近海就航船の荷役さん橋に、という二つの天城の船体の利用案があった。

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「係留中の天城と有川さん橋(右)」 (北海道新聞 昭和24年11月28日)



翌年の北海道新聞 昭和25年8月20日の記事には「活用に三案 元空母"天城" 函館港湾振興会 利用研究に本腰」の見出しで、

天城の利用を港湾施設充実の為に函館港湾振興会で本腰を入れて研究していて、その利用案が、

①予算関係で行き悩みになつている木造さん橋代用に西浜岸壁のつぎ足しにする
②第二ふ頭の岸壁に使用する
③旧さん橋若しくは郵船浜に機帆船および小型汽船の荷役用ふ頭にする。

の三案があり、実現性の問題から第三案の機帆船の荷役用ふ頭として郵船浜付近沖合に突出させる計画が最も有力視され近く細密な調査を行うこと。しかし第二ふ頭工事が今後1億9千万円程で完成する見通しから、(天城に費用を割くよりも)港湾施設費用を細大もらさずこれに充当することが得策だという見方もあることからさらなる研究が必要ということだったようだ。

しかし、結局利用方法が見つからず、昭和26年10月17日に屑鉄として天城は1056万8千円で金属鉱業会社に売却され解体、その会社では建築物の鉄筋として販売されたという。




・「天城」終焉の地の現在の様子

函館に到着した天城は売却されるまで有川桟橋の南東、現在の函館市浅野町に繋留されていました。

天城が繋留されていた場所はこの場所(グーグルマップへ飛びます)

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なぜ、この場所かと確定できたかというと、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で、天城が函館に到着した8日後の昭和23年8月27日に米軍機によって撮影された空中写真USA-M1152-48の右下に、天城と思われる船体が写っていました。


当時の空中写真と現在の空中写真を重ねあわせてみるとこのようになります。

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白い部分が昭和23年8月当時の陸地で、突き出ている所が有川桟橋。青函連絡船のうち貨物専用の岸壁として使われていました。

細長い長方形のが天城と思われる船体です。


↓更に拡大
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その場所に実際訪れて昭和23年9月23日の記事の写真と同じように撮ってみました。

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現在の有川桟橋は、隣に新たに埋め立てられた港町埠頭とくっついてしまっているのですが、海上自衛隊の艦船や大きなクルーズ客船などはこの港町埠頭に着岸します。

天城が繋留されていた場所からはちょうど有川桟橋を挟んで500mほどで、着岸した護衛艦も函館山も一目で見れる場所です。


あと一通り調べてからネットで見つけたのですが、すでに天城の場所について纏められている人が・・・

管理人:スズ氏 『大地の記憶』 - 「雲龍型航空母艦「天城」終焉の地に関する調査」


拙ブログよりも見やすく紹介されてますので、そちらの方もご覧になって下さい。



最後に、「艦これ」で「函館……何でだろう懐かしい響き……気のせいですね。」と言う天城だけど、浮き桟橋として連れて来られ、結局その役目は与えられずスクラップとして消えたこの函館では懐かしむだけのいい思い出は無かったと思う。

個人的には、実は有川桟橋のどこかで防波堤として眠っていて欲しいなと思ったりした。

あと、先代の関東大震災で被災した天城が現在も浮き桟橋として使われている一方で、三代目の天城が浮き桟橋に改造されて使われないままスクラップというのも皮肉なものだなと・・・


(参考文献)
・函館新聞 昭和23年2月11日、昭和23年8月20.21日、昭和23年9月23日、昭和23年11月20日
・北海道新聞 昭和23年2月11日、昭和23年8月22日、昭和24年11月28日、昭和25年8月20日
・坂本幸四郎 「青函連絡船ものがたり」(朝日新聞社、1987年)
・秋吉秀康 「旧海軍航空母艦「天城」の艦体利用のポンツーン」
 
 
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